つるし飾りのふるさと

細工物をつるして飾った、つるし飾りの発祥の地としては、

  • 静岡県伊豆稲取の「雛のつるし飾り」
  • 福岡県柳川市の「さげもん」
  • 山形県酒田市の「傘福」

があり、三大つるし飾りと呼ばれています。

静岡県伊豆稲取の「雛のつるし飾り」

伊豆稲取では、以前は「つるし」と呼ばれていて、このつるし飾りは江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習です。

女の子の初節句に、無病息災、良縁を祈願してひな壇の両脇につるされたり、ひな壇本体の代わりにもなりました。

子供が成長し、7歳、成人、嫁入りといった節目を迎えると、新年のどんど焼きにて焚き上げてしまうため、古いものはあまり残っていないそうです。現在では、残された貴重なつるし飾りと共に、雛のつるし飾りの保存会ができて、多くの作品が地元の人々によって作られ、飾られています。

福岡県柳川市の「さげもん」

さげもんは、福岡県柳川市に伝わる風習で、女の子の生まれた家庭では、その子の幸せを願い母親や祖母、親戚の人々によって作られ、初節句の祝いとされたものです。

もともとは江戸時代後期に、お城に仕える奥女中の教養の1つとして、小布で袋物や細工物やまり「柳川まり」が作られたのが始まりです。また、彼女らの里帰りを通して庶民にも伝えられ、ひな壇の代わりとして、また裕福な家庭ではひな壇をさらに豪華に引き立てるため、部屋中にさげもんを飾りつけ、お客様を招いたりされたようです。

山形県酒田市の「傘福」

傘福とは、山形県酒田市周辺で作られ、飾られたつるし飾りで「笠福」ともいわれます。

発祥は定かでは無いようですが、江戸時代に酒田は米の積み出し港として栄え、北前船の航路を通じて京都との交流があったことから、これによって伝えられたものと考えられています。

酒田市の豪商が京都の祇園祭山鉾巡行に習い、地元の山王祭りを盛大にするために京都の職人に山車制作を依頼した時に、作られた山車の上段にあった傘との関係も指摘されています。

やがて傘福と桃の節句が結びつき、飾られるようになりましたが、本来この傘福は観音堂に安産や子供の成長を願って地元の神社に収められたものです。

昔から傘の中には魂が宿ると言われ、母子ともに健康であること、家庭が円満であることなど、様々な願いを形にした細工がつり下げられたようです。

この三地域に共通する事は、いずれも医療が発達していない時代に、子どもの健やかな成長を願う想いの中から作られたものであり、この風習は江戸時代後期ごろから始まり、昭和中期ごろまで行われていました。社会生活の変化によって一時期衰退しますが、平成になり、伝統的な手仕事のすばらしさや、素朴なかわいらしさが見直されるようになり、広く人々に知られるようになりました。